1978(昭和53)年10月22日、後楽園球場で行われた日本シリーズ第7戦で、六回のヤクルト・大杉勝男選手の左翼ポール際への飛球を、審判が本塁打と判定。阪急の上田利治監督(中央左)がファウルと猛抗議し、試合は1時間19分中断した。判定は覆らず ...
1980(昭和55)年11月23日、後楽園球場で巨人・王貞治選手の引退式が行われた。マウンドで帽子を取ってスタンドの四方に一礼した後、「868本のホームランが打てたのも、ファンの皆さんのおかげ」などとあいさつ。ドラマチックな引退のスピーチをした長嶋 ...
日本の野球文化を支え、多くの名勝負と記憶を生んだ球場たち。しかし時代の流れとともに姿を消し、今ではもう訪れることのできない場所も少なくない。そこで今回は、日本野球史に深く刻まれながらも、惜しまれつつ消えていった“名球場”を紹介する。
97年、自分にとって致命傷となったのがナゴヤドームへの移転だった。これまで本拠地としてきたナゴヤ球場に比べて格段に広くなり、長打や本塁打が出にくくなった。88年、後楽園球場から東京ドームに移転したシーズンに巨人が中日に12ゲームの大差で ...
広島の左腕・川口和久がガッツポーズを作ると、指揮官・古葉竹識が満面の笑みで出迎え、握手を交わした。 1984年10月27日、後楽園球場で行われた広島対ボルチモア・オリオールズの「日米親善野球」第1戦で、川口が1‒0の完封勝利を飾った。 オ 0 0 0 0 0 0 0 ...
文春オンライン on MSN
大谷翔平が長嶋茂雄さんに「お久しぶりです」…目撃者が明かす“最後の面会”でみせた姿《一周忌秘話》
背番号3。バットを構えた往年の長嶋茂雄が、マウンドの大谷翔平に鋭い眼光を向ける。夢の対決をCGで実現する「セコム」のテレビCMが放送され始めた2025年3月15日。2人は、東京ドームの一室で再会を果たし… ...
代打で結果が出せず苦しんでいた1984年(昭59)5月初旬、後楽園球場での試合後、山崎弘美マネジャーの車で西神田インターの手前まで行き、そこで別の車に乗り換えた。王貞治監督のベンツだ。 向かった先は渋谷区代々木の参宮橋。「世界の王」の一本足 ...
2018年も多くの有名芸能人、著名人が旅立った。人生100年と言われる中、まだ63歳だった西城秀樹さんの死去はショックだった。1979年にリリースされ、80万枚超の売り上げを記録した代表曲「YOUNGMAN (Y.M.C.A. ...
1949年10月15日、後楽園球場はおよそ5万人の観客で揺れた。プロ野球巨人と対戦したのは米球団「サンフランシスコ・シールズ」。メジャーリーグより格下のマイナー3Aクラスながら巨人に猛打を浴びせ、13対4で圧倒した。 当時中学生だった慶応大名誉教授 ...
共同通信 on MSN
<あのころ>巨人のライト投手が初登板 50年前の5月29日
1976(昭和51)年5月29日、米大リーグで活躍し、巨人に入団したクライド・ライト投手が後楽園球場で初登板。大洋を相手に六回途中まで投げ、2失点で初勝利を飾った。「日本の審判は低めの球をとらない」とストライクゾーンには不満げだったが、この年は8勝をマーク。77年には11勝を挙げ、78年に引退した。 関連記事 ...
一部の結果でアクセス不可の可能性があるため、非表示になっています。
アクセス不可の結果を表示する